自分大好き

憚らない

年が明け、最近は変わりたいという気持ちにやっと少しずつ行動が追いつきつつあると思う。映画もそこそこ観ているし、すこし海外にも行くし、働き口も新しいのを探せてはいる。ただ同時に自分の人間的な未熟さや幼稚さ、醜さ、心の狭さ、などそういったものが自分の中で浮き彫りになり、それを周囲に知られる(あるいは既に知られている)ことに強い苦痛を感じてもいる。承認欲求を燻らせる人間にとって、自分を承認してくれない相手にそのような欠陥であるとか空虚であるとかを見透かされ指摘されることは致命傷になってしまうのだ。他人についてあれこれ思うことは怖い。ましてや恋愛なんて裸で崖の上から海を望んでいるようなものだ。懲りない人類め、私は子孫なんか1ミリだって残したくないのに。これは甘えだろうな。とにかくあんなものはどうあっても絶対に死ぬ。もう死にたい。

インスタントラーメンを食す。個人的には鍋を出さなくてはならないというだけでかなり面倒くさい。ゆで卵を剥く。上手く剥くコツは、何度聞いても忘れてしまう。冷蔵庫のチャーシューは20日近くも賞味期限が過ぎていたので、仕方なく3枚全部載せた。賞味期限切れのものを食べることにはやや抵抗があるが、なにごとも難癖を付けて選り好みしていられないという自戒の意味で食べたら妙な味がした。もともとこういう味なのかもしれないが。美味しくない。私はどうやらひとりでものを食べるのが好きらしい。食べ方に品がなく育ちが知れるという恐怖と戦い続ける必要があるので、他人と食事をすることは実は私にとって結構ハードルの高いことなのだ。一人は心が落ち着くし、思う存分考え事に耽ることができるから。自意識にがんじがらめになっていた期間が長過ぎて、未だあまり長時間他人と一緒にいることが得意ではない。これを楽しめるほど自信が持てれば楽しそうなのだが。先刻までYMOを聴きながら予備知識もない美学の問題に悪戦苦闘していたが、これから今度はろくに読んでもいない外国の文学について論じなくてはいけない。なんだっていつも学校というのはこんなことを学生にさせるのか。すべて悪いのは私だ。虚しい。